写真雑感

久々に雑感です。

一年で最大イベントが終わり普段の落ち着いたペースに戻った9月です。彼岸は過ぎたといってもまだまだ日中は暑いですね。


先日、お客様と話しをしていて少し驚かれた事がありました。自分は鉄道をメインにして撮影しているので、絞りとシャッタースピードは必然的に決まってしまいます。この2つは極力変更したくないので、最終的に感度でコントロールしているのですが、フィルムから移行した人にとっては感度を絞り等と同じように撮影時に調整するというのは新鮮に思えたようです。もちろんデジタルになって感度はいくらでも変更できるということは分かっている人で、状況が厳しいときは感度を上げて撮影しています。なのになぜ驚いたのか? その人にとって、絞りとシャッターと感度を3次元的にコントロールして撮影を決めるというスタイルがなかったからだったと思います。感度は暗い時に変更するものであって、あくまでフィルムを交換する程度の意味合いしかなかったのだと思います。自分もこんなに頻繁に感度を変更して撮影するようになったのは、デジタルが高感度が強くなってからです。それまでは極力低い感度で絞りとシャッタースピードのみで撮影を決めていました。

デジタルの進化によってカメラが変わりつつあります。ミラーがなくなり、液晶を見ながらでも撮影ができ、現実の色合いとは違った感じにも撮影できる… RAWとか色域がどうこうという卓上の勉強の範囲でなく、撮影の実践的な部分でフィルムカメラからの感覚から脱皮しないと、フィルムが単なる電子素子に置き換わっただけしかなっていないということが、今回つくづく思いました。

デジタルだから全てが覆されるように変わるということではありません。被写体に向き合い、対話し、シャッターを押し、撮影した後はセレクトして紙に定着させる。これはどんな機材を使っても同じだと思います。ただ、道具が変われば使い方も変わるという程度なのですが、それをどう使うか? その部分だと思います。


また別の話し。自分は写真は最終的に紙に定着(プリント)して完成だと思っています。その定着させるまでの過程が大切で、たぶんデータやフィルムからセレクトして、色を整えたり、トリミングをしたり、はたまた気に入らない事があれば再プリントやセレクトまで戻る事もしばしば。そうやって完成させた1枚のプリントにたどり着くわけです。僕は仕事柄デジタルなので、画面のサムネイルからコマを選び、フォトレタッチをして作品に仕上げていく過程を日々見て体感しています。“作品になる”というのはそういう過程があるからだと、それ以外の事は考えもしませんでした。

ところが、ある人の写真に携わって、実はそれだけではないということに最近気がつきました。最初はさもない写真だと思ってましたが、作品(プリント)にすると決めた時から作品らしくなってきたのです。たぶん思い込みがかなりあると思います。でも、その気になるとその気にさせる写真に変わっていくんだと、その時ハッとさせられたのです。言葉はオーバーですが魂が宿ったんじゃないんですか? 作品を発表するときも控えめな気持ちでなく、自分の分身だ!ぐらいな気持ちで見せると変わってくるかもしれません。


レタッチというともう1つ。いい写真だなと思ったのはレタッチほとんどしなくて済むんですよ。ホントにちょっとだけ色を整えるだけ。もとの写真だけで完成されてるんですね。逆はダメという事ではないのですが、手をかなり入れて作品になるというのは、それほど元の写真にチカラがないってことなのかもしれません。


雑感でした。


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2013年09月25日 Posted byかにかに4号 at 16:09 │Comments(0)店長の日々雑感

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